6つ目

こんにちは。
何もわからないという気持ちが強い昨今ですが、みなさんは元気ですか。僕は元気です。元気ですが、何もわかりません。


ここ最近、家族とどこかへ出かけたり、買い物をしたり、人と会って水族館に行ったり、ビアガーデンに行ったり、ビールを持って海を徘徊したり、流木を投げたり、ブロック塀を撮ったり、猫をもんだりしていました。
何もわかりません。けれど、酒は良いです。気持ちがよくなります。よく笑えるようになります。酒は良いです。


何もわからないというのは、今の気持ちを端的に表した言葉です。具体的には睡眠以外の出来事について、自分がやっていることのように思えないというか、何か食べたり触ったりしているのを、少し離れた場所から見ているような感覚で過ごしています。いわゆる離人症みたいな感覚です。
別の人が体を操作しているような感覚とは違っていて、事物や事象が目の前を通り過ぎていくのを眺めている、そんな感覚です。


物理的には僕が肉体を使って行使しているわけですが、感覚的にはそれをただ眺めているような……なんと表現すればわかりやすいのでしょうか。虚無っぽい感じ?いや、別に無でもないんですよね。
あるものはそこにあり、起きるものは起きて、ただそれだけで、水みたいに情報が流れては新しいものが入ってきて、それをただ見ているだけなんです。


だからなんだという話ではないのですが、そんな感覚で日々過ごしています。もう慣れましたが、前は目の前を通り過ぎていくものたちを見ては不安になりました。先がわからないから不安になるんです。ちなみに、不安と恐怖の違いは、対象がはっきりしているかどうかです。何が怖いのかはっきりしないので、この場合は不安ですね。常に漠然とした不安と希死念慮をぽわぽわまとっています。


僕は昆虫が好きです。
昆虫には意識がありません。正確には意識を認識するだけの知能がありません。人間や高等生物のように、自分という概念を持ち合わせていません。だから、僕のこの感覚は、きっと昆虫に近いんだと思います。日々流れていくものたちを、あらかじめプログラムされた動作で処理していく。それの繰り返しで、繰り返しに対して不満も満足も持ち得ない。


ただ、僕は人間なので、余計なことを考えてしまうんです。それが漠然とした不安につながっているのだと思います。意識なんていらない、と思うときがあるのは、そういう理屈です。


今は電車の中にいます。
人の服の色、視線、靴、声などで充満した空間で足を組んで活字を打っています。工場の光、家の天井の色、看板などが窓の外を流れてゆきます。
今から動物園に行こうと思います。動物は好きです。本当は水族館に行きたいです。水は好きです。海はきれいです。